教科書ではわからない本当の歴史 アジア太平洋戦争の真実
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日本と中国との間で引き裂かれた、父の青春
 1937年(昭和12年)7月7日、日中全面戦争のきっかけとなった盧溝橋事件が起きた時、天津にいた父は、甲子園大会の満州地区予選めざして練習に励んでいる真っ最中でした。練習が一段落して休憩中、職員室の前を通ったら大騒ぎになっていたそうです。

 何事かと思って聞いてみたら、「盧溝橋で日本軍と中国軍が衝突した」とのこと。その瞬間、父が考えたことは「満州地区予選、大丈夫かな」。「でも、戦火は南に拡大していったから影響なかった」。

 その後の展開を考えると、野球少年だった父の呑気(のんき)さには驚きますが、渦中にいると案外そんなものかも。日本が破滅に向かっているということに気づいている人は、少なかったのではないでしょうか。気をつけないと。

 しかし、日本の大学に進学した父の人生は暗転しました。戦局はどんどん悪化し、1943年(昭和18年)の春、父は学徒出陣が始まる半年前に繰り上げ卒業。生まれ故郷である大好きな中国に、銃口を向けなければならなくなってしまったのです。

 1945年(昭和20年)8月9日未明、国境を越えてソ連が侵攻。中国に残っていた父の両親は広大な中国大陸を逃げまどい、命からがら日本に戻ってきました。「独断専行」で戦火を拡大しながら、いざとなると民間人を見捨てて逃げた日本軍を目の当たりにした祖父は、「軍隊ほどあてにならないものはない」といつも言っていたものです。

 父はずっと日中国交正常化を熱望していました。しかし戦争のことになると口をつぐみ、思い出話以外はしませんでした。万里の長城の壮観さを語り、中国に帰りたいと切望しつつ、その望みを果たすことなく62歳で人生を終えたのです。

 父は下着まで、中国人のクリーニング屋に出していたそうです。「日本人はみんなそうしていた」と言っていました。父に悪意は全くありませんでしたが、やはり侵略する側に立っていたんですね。父の青春は、二つの国の間で引き裂かれました。国家の論理が個人を押しつぶす残酷な時代だったのです。by G2 

学徒出陣についてはこちら↓
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